これが最後の人生と決めてから 〜苦しみから解放される一つの考え〜
こんにちは!北基です!
最近仏教に興味が出まして
まだ少しかじった程度なので全然詳しくはないのですが^^;
とりあえず
・釈迦の仏教
・大乗仏教
これらは違うものだということ
そして仏教の最大の目的は煩悩を捨て涅槃(完全な死)に入ること
今の所こんな感じです
少な!!
そうなんです仏教に興味が云々いっておいてこんなもんなんです^^;
ただそんな少ない情報から一つ導き出したことがあります
順を追って話していきますのでぜひお付き合いください^ ^
目次
なぜ仏教に興味が出たのか
ボクは毎日毎日同じことの繰り返しの人生にうんざりしていました
そんな毎日を変える努力もせず
「どうせ何を初めてもこんなものだろう」
と決めつけて何もしなかったんです^^;
要するに自分で勝手に人生に見切りをつけて腐りきっていたわけです
しょうもな!
アホなことこの上ない話でお恥ずかしい・・・
でまぁある日何かの番組をぼーっと流しみしていたらたまたま仏教の話で
1、仏教には52位の悟りがあり
52位までの悟りを開いて涅槃にいくことが目的である
2、一つでも悟りを開くと今いる世界が全く別のものになる
こんな話をしていました
この2の方に強く惹かれたわけです
そして一つ気づかされました
自分で勝手に人生つまらなくしていたんだな
と、自分が腐ってる間にも必死に修行している人達がいて
この瞬間にも悟りを開きボクの知らない世界をのぞいているかもしれないと
自分が変われば世界も変わる
そんなことを教わった気がします
でいきなり出家について調べたわけですが、まぁあまり現実的ではないなと思い悶々としていました
大切なものを全て捨てていけるほどの覚悟はなかったわけです^^;
釈迦の仏教に触れる
で、これまた偶然なんですがyoutubeの動画を流していたら「ブッダ最後のことば」
というNHKの番組が関連動画に出てきてすかさずクリック
それは「ブッダ最後の旅」という本の解説番組でした
それを見て仏教は本来
・自分で自分を救うもの
・救いというのは輪廻の流れから抜け出すこと
・そのために厳しい修行を重ね煩悩を捨て去る
これが涅槃に入るということなのかと知ったわけです
ボクの勝手な解釈
ここからはもう本当にボクの勝手な解釈ですので
ど素人が何か言ってるw
くらいの目で見守ってください^^;
結論から言うと
煩悩を捨て去って逝くことと満たされて死んでいくことは同じことである
ということです
ブッダは厳しい修行を重ね悟りを開き、煩悩を捨てさり、人々に救いの道を示し
多くの弟子を育て、自分の使命を果たして涅槃に入られました
一方満たされて死んでいく人はそれこそこの世に未練などなく清々しく旅立っていくことでしょう
つまりその瞬間には煩悩(欲)などないのです
涅槃に入るには煩悩があってはいけません
煩悩が原動力となりまたこの世に生まれてしまうため涅槃に入ることができないからです
ここでもう一つボクの勝手な思い込みなのですが
ブッダも自分の使命を果たし満たされて逝ったのではないでしょうか?
ここでどんな人生であれなんお未練も残さないほど満たされた人は煩悩から解放され
涅槃に入ることができるのでは?と考えたわけです
悟りを開くのも生易しいことではないでしょうがそれほどまで満たされるのもある意味修行と変わらないように思います
様々な意見があると思いますが現段階のボクの考えはこんな感じです
で、タイトルです
じゃあこの人生で最後にしようと
ものすごく自然にそんな考えが浮かんできました
そう決めてしまうとなんだか世界が変わったように気持ちが楽になりました
そして棚や机に感謝しだしました^^;
で勢い余って今こんなブログを書いています
まとめ
ボクは上記のように「これが最後の人生」と決めてしまうことで気持ちが
軽くなりました
ただこんな突拍子も無いことを人に勧めたところで
何言ってんだこいつ?
って間違いなくなります^^;
じゃあ結局何がいいたいのかというと
なんでもいいから自分で考えて自分で結論を出す
それこそが一番自分を助けてくれる思想になると思います
ヒントになるものはたくさんあります
自分で自分を救う
これは真理だと思います
とにかく動いて模索して見ましょう
きっと何か見つかるはずです
動かないと何も始まりません
終わり!